早稲田大学 医療レギュラトリーサイエンス研究所

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レギュラトリーサイエンスコラム-2:思いやりと忠恕-(2)

2018年4月12日

コラム-2:思いやりと忠恕-(2)

内山先生の指摘された“思いやり”について考える。“思いやり”は、広辞苑では「まごころ、相手の立場で考える」とあり、英語ではCompassion、Considerationである。“思いやり”は人間愛、人間の尊厳、生命倫理に関わる意味を持つ。我々は日常生活において“思いやり”という言葉をその意味を深く考えず、何気なく用いている。それぞれの立場で意味合いが異なることさえある。

21世紀には入り、価値観の多様化する文明社会において、ビジネス界でも“思いやり”が注目されている。ダライ・ラマ法王は“思いやり”の重要性を指摘し、1914年にはスタンフォード大学は「The Center for Compassion And Altruism Research And Education」が設立している。Compassion は“思いやり”、慈悲を意味し、Altruismは利他主義を意味し、他人の幸福や利益を図ることを優先する考え方である。米国において、利他主義と同様に、“思いやり”の心に関する実証的研究と教育が行われていることを我々はどれだけ認識しているだろうか。21世において、今、“思いやり”は倫理学として経済学や法学などの人文社会科学の課題としてのみならず、医学等の自然科学の観点からの研究が求められているのである。

レギュラトリーサイエンスは科学技術と人・社会との関係を調和・調整する科学であるが故に、その基盤は人間の尊厳、哲学・生命倫理にあり、内山先生は“思いやり”というわかり易い言葉で表現されたのだと思う。

私は“思いやり”という言葉から“忠恕”という言葉を思い起こす。20歳の頃、人生の恩師故青木繁夫氏(滋賀県堅田在住)から贈られ、かつ課せられた言葉である。“忠恕”は広辞苑では「まごころとおもいやりがあること。忠実で同情心が厚いこと」とあり、孔子によれば、「忠」は「まごころ」、「恕」は「おもいやり」を意味し、一つの漢字では“仁”になる。当時自分とは何か、何を知り、何をすべきか等について自己探求をしていた青春時代であり、“忠恕”の結果、相手の立場にとらわれ、自己の利益や価値観が損なわれ、行動が制限されるようにも思えたものである。しかしその後、医師としての社会生活の中で、自己と他者のバランスをとり、調整・調和を図ることによって、他者の幸せをもたらすことが、結果として自らの幸せをもたらすことに気づき、その実践に努めてきたつもりである。しかし、齢を重ねた今でも、“忠恕”を真に体現することは「言うは易く行なうは難し」である。私にとっては一生の課題であり、私の座右の銘の一つである。

私の座右の銘とする“忠恕”は内山先生が指摘されるレギュラトリーサイエンスの基盤としての“思いやり”と重なる。ライフワークとするレギュラトリーサイエンスにおいても“忠恕”と“思いやり”への旅は続く。